KDS 桑沢デザイン研究所同窓会主催イベント
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特別講座開講、主管をするにあたり

少々長くなりますが、どうぞ軽い気持ちで、笑いながら読んでいただければ幸いです。

こんにちは、講座の企画・主管を担当している、由良です。

私は、学校を卒業してから今日までのデザイナーライフを振り返り、「桑沢時代の学びの中で、自分は何か疎かにしていたのではないか」そう感じることがあります。
例えば、クリエイティブ(創造)に対しても子どものように疑問を持ちデザインすること。それは言い換えれば、デザインすることへのPhilosophy(智への愛)。つまり、想像と創造に繋がっている、哲学の掘り下げが足りなかったのではないか、と。

現在、デザイナーを目指す人、すでに、デザインに取り組んでいる人たちの中で、「個性をより深くデザインに落とし込みたい。世界を舞台に活躍するデザイナーになりたい。」そんな方にとっては、この講座は、きっと役立つ筈。
今年は、デザインに必要な哲学とは?を知るきっかけになる場を、侘び寂びとモダニズムを切り口に開催いたします。

 

ここでちょっと立ち止まって、30秒。思い出してみた。

ちっちゃい時、自分が欲しいものにもう触っている錯覚がする位、鮮烈な想像を、毎日のようにしていた。

強く細かいところまでイメージできたものほど、必ず作り出せたこと。時にイメージを超えて。

その時の、何物にも代えがたい心地よさ。作り出したものが、周りの友達や家族も感動させていたこと、とか 沢山たくさん浮かんでくる。

そんなわけで私の体験談を、少しお話ししようと思います。

読みながら、なぜかな?と、自分の体験を想像してみて下さるといいかもしれない。

そしてその時、自分の中に湧いた気持ちを感じて、忘れないようにしながら。

目次

1. 小さい頃の記憶が、学校生活を変えてしまったのか?いや待てよ
– 心が体験を浅くした?
– 学ぶってどんなこと?
– 先生は素晴らしかった!

2. 今、デザインの現場で起きていること、一例
– はてな?がないと、大変だ
– 頭だけでデザインし形にすることはできるのか?

3. そして今、主管をする理由

4. 終わりに

1. 小さい頃の記憶が、学校生活を変えてしまったのか?いや待てよ

心が体験を浅くした?

私は、大人になってから、少しでも好きなことを仕事にしたくて、学生に2年間戻りました。

桑沢の、作って作って作りまくるカリキュラム。その中に、オリジナリティを磨き上げるチャンスは河原の石くらいゴロゴロ転がっていた。

なのに、2年間。すごくもったいない過ごし方をした、と思う。受験の期間を含めれば3年も、だ。

学ぶってどんなこと?

もともとは自分の感じ方、世界観、言葉を、授業のなかで非常に泥臭くドッタバッタしながら出し合って、わたしはこう生きるぞ!って心の基準を確信を持つ、実験的な場なんだけれど…

私の場合、学校は技術を覚える場所なんだと、思い込んでずーーっと過ごしてしまったのです。

技術を身につけたら手に職なのだと思い、器用に何でも出来るようになろうだなんて、本当に馬鹿げていた。

それに極めつけが、ときどき時間内に完成させようとして、きれいに形だけまとめようとしている自分に、気づけなかったことだ。気がつくと作業で手一杯。

桑沢時代、提出物のクオリティーにムラがあるという評価を今でもはっきり覚えている。….

何でか、と言えば、

本当に表現したい好きな課題だけ出来が良かったのだ。

しかしそんな自覚がはっきりせず、立ち止まって考えることを、そもそもしていなかった。

思えば、デザインに繋がるデザイン思考の、原点と言える、デザイン哲学が足りなかったのだ。

先生は素晴らしかった!

先生は、デザイナーにとって大事なメンタリティーの部分を、限られたカリキュラムの時間で、あの手この手でなんとか伝えようとしてはいたんだろうと思う。

ところが、しつこい心の中の思い込みが、右から左へ流してしまった。私は、先生たちの言葉の向こう側にあるものをほとんど、拾えなかった、のである。

はてな?が、足りなかったからだ。

そして、心の底から作りたいものを想像して、出来たもの見ながら「自分てこんなこと大事にしてるんだなぁ」って発見をしながら、納得いくまで個性や好み突き詰め、自分はこれで生きるぞ!をハッキリ…させるはずだったが、それが、

できないまま卒業してしまった。

今の自分は、家族や、知らない誰かの言ったなんの根拠もない意見をなぞろうとしてるのか、

自分の心に向かってるか、どちらだろう?

何をやっても体験の深さ自体が、選べた未来が、
姿勢一つで全然変わってしまう・・・

ここにデザイン哲学にまつわる講座を開講したかった理由がある。

これらが、私の体験だけれど、はてな?の大事さや、
哲学する大事さを、ほんの少しでも、感じてもらえたでしょうか。

自分次第で気づけるのだけど、今なかなかそういう機会や場所や、きっかけになるような大人と出会えることがない。それは、いくつになっても、活躍してるデザイナーでも同じではないかな。

私は、思う。自分の個性と心の基準に鈍いまま仕事をすると、困ったことが起きてしまう、と。

2. 今、デザインの現場で起きていること、一例

学校時代の私の状態は、いろいろ程度はあるけれど、私に限ったことではなかった。

あるゲーム会社の中のグラフィックデザイナーとして仕事を始めた私は、いろんな問題にぶち当たった。

はてな?がないと、大変だ

仕事を始めてすぐ、あるパッケージデザインをやった時のこと。メールで連絡が来て、ストーリーが一目でわかるような表紙の、ラフを作ることになって、悲しいことがあった。

そのストーリーの裏側がどんな話になってるのか。言葉そのままに受け取って、疑問を持たない自分がいた。そもそも本当にこれでいいの?と問い返さない。

… 先輩もあまり確認していなかった。

右も左もわからない状態で、先輩が、とにかく龍が鍵らしいので一人三種類描いてみようと進め、二人して画を書き始めた。

描いている間、ストーリーを作っている人たちと、ほとんどやりとりをしていなかったと思う。今思い出せる範囲だけれど。….  ..

デザインてなんだろう?

デザイナーの仕事って?

7日間たって、なんとほぼ書き上がった段階で、全部ボツになってしまった。そもそも最初に話したストーリーと見せるところが変わった。なんてことが起きた…全部書き直しだ。

こんなに悲しい事は無い。

当時は、先輩と二人して、上の人の話が変わりすぎたせいだと思っていた。

けれど、浮かんだはずの疑問を消そうとしているのは、自分の仕事を増やしたくないからと聞くのを面倒くさがったり、年齢や上下関係に気後れしたり、今あるものだけで作らなきゃいけないと思い込んだりしている、心。

その状況を生み出しているのは、そう、自分のデザインする姿勢にあった。

頭だけでデザインし形にすることはできるのか?

私が、デザインする環境で感じたことは、パソコンと言う道具が、ドラえもんのポケットみたいになんでもできるって思い込みで使われてるということ。

パソコンはなんでも整えて、綺麗に作ってくれるけど、作ったものが画面から出てこない。

見る、触る、重さ、大きさ、自分とどれくらいの近さで接するのか。肌で感じる空気・空間との折り合い。これだけ感覚をたくさん使えるうちの、「見る」でしか確認できないパソコンで最初っからものを作るのは、自分で手足を縛って走ろうとするのと一緒だ。なんか足りない、当たり前だが、気づいてなかった。

印刷できないものをパソコンで作り続けていたある日、たまたま、CDのジャケットを作ることがあった。

私はパソコンだけで作ると、時間がかかってしょうがないと感じていた。

紙を切って貼って、ごっこ遊びみたいに。こんなCDを手に取りたいなぁと、なんちゃってCDを作った。すると、形はすぐにまとまった!

先輩に見せると、ちゃんと作ってえらいねなんて!

わたしはびっくり!

作った方が、とても早かったことに。

( これって、グラフィックデザインだけの話ではないのですが。生きること、暮らし全てがデザインだから。)

こんなことを繰り返していたら、当然仕事をする時間はどんどん長くなる。自分が作りたいデザインと離れている自覚も持てず、何か違うなと思いながら仕事を続けることで、心も身体疲弊した。

とうとう、私は仕事のしすぎで、体を壊してしまった。後輩たちもそうしたデザインの現場の魑魅魍魎に連からめとられていた、と思う。

このままではいけない!

自分と、世の中が幸せになれるデザイナーの働き方と人生を作るにはどうしたらいい?
疑問を感じ、私はやらなければならないと動き始めたのは、この時でした。

3. そして今、主管をする理由

諸々の原因、以前は私は教育のせいだと思っていました。

こういうことが起きるのは教わったもののせいだと。

でも元をたどると、それはちょっとお門違いなのに気づいた。

それって誰かのせいにしている?誰かの意見や、足並みを揃えようとするシステムへいつの間にか従っている。そのことに気づかないふりをしたまま過去に生き、文句を言っている。

こんなことをしても何も変わらない。

何故、これが、続いたのだろう。何が、足りなかったのだろう?

デザイン環境、と言えるもの中でもっと大事なのは、自分の心、デザインマインドだ。

何が起きても何を言われようとも、毎日泡沫のように湧いては消える自分の感覚をひたすら聞き続ける素直な心。

鮮烈なイメージに触り、形にし続ける感覚を、忘れないことや、

たったそれだけで、どんな時も

自分を深め続ける幸せな働き方を、より良いデザインを、選べる。

それに気づいていくきっかけの場を、ありがたいことに、今年も作ることができました。

本当のデザインのガイドは、あくまであなたの心の中の感性だ。

その感性こそが自分のデザインライフに最後まで一緒に歩く人だから。

あなたのデザインにデザイナーライフに、より良いきっかけになれるよう力を尽くそうと、2019年も 開講です。

4. 終わりに

私の体験談は、今回のテーマ、侘び寂びとモダニズムに繋がってると思っている。

何故なら、デザインされたものに囲まれた私たちの暮らしと、デザイン環境とモダニズムは、切り離せ無いし、侘び寂びには、どうやら、デザインのオリジナリティに繋がる 何かが、ありそうだからだ。

それで、私自身が 受けたい講座を主管することにいたしました。

エアコンの風と外を流れる風。

エアコンの風は言われた通り、いつも同じ覚えているものを出す風。

自然の風は、空と海と軽やかに話し合いながら、そよいだり、吹き荒れたり。時に凪いだり。どんなに変わっても、恐竜が生まれるもっともっと前から、これから未来も、ずうっと吹き続ける風。

あなたは自分の置かれた環境で、どっちの風で、ありたいですか?

由良 万紀子

由良の立体作品

Artlosophy特別講座2018

Artlosophy特別講座2017

Artlosophy特別講座2016(親子向け)
デザインを通して、親子のコミュニケーションを深めるワークショップ

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